2月という短い時間
年末の三浦半島にもどっている。
昨日、図書館にて読んでいない本を物色。
なかなか訴えてこない。
居酒屋の妖精しか、自分には身内がいないのだろうか?
しかし、帰ろうとしていると、オルハン・パムクというトルコの作家の本が目に付く。
2冊だけ読んだ(購入して既読です)が、まだ、網羅していない。
そのうちの1冊は、イスタンブールへの愛着の本。
パラパラ読んでいないもの(未読)をめくるとさすがの実力。
400年もヨーロッパは物語を作成する。
そこから、ちょっと離れた地域のひと。
物語を作るということは絶対者という位置に君臨する。(司馬説)
俯瞰(ふかん)の視線。
日本は、そういう観点がないので、やぶれかぶれの私小説というジャンルが作られる。
八百万の神。
都市で生きるために技術を習得する。
それを獲得して農村から都市に来る。
畳を作れたり、帳簿をつけられたり。
ある時期の日本の作家は、そういう鎧を身に着けないまま、もちろん、生活に困窮する未来を無視したまま(例として葛西 善蔵を出していた)物語(私的な)を作る。
しかし、物語というジャンルの根本は、トルストイやドストエフスキーやトーマス・マンというひととともにあると、オルハンさんは言う。
と、いろいろ考え、ある日の横須賀の立ち飲みを思い出して、酔う。
エクセルやパワーポイントで資料を…