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zoom RSS 彼らの生存ゆえの悲しみ

<<   作成日時 : 2012/06/28 00:32   >>

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 外なんか歩いていて、ブランドバッグを持っているひとを見かけるたびに、生きることの悲しみを感じる。

 もちろん、法国家に住んでいるわけだから、誰かが決めたルールの傘下で毎日暮らしているわけだ。

 それだから、それゆえにこそ、持つものや、着る服ぐらいは、自分の好悪にすべて任せればいいんじゃないか、という結論。

 それを持っている意味は、あるチームの一員であるということの証明。

 バッグの作り主を評価しているわけでもなく、手作業を認めているわけでもない。

 その最終的な好みを誰かに任せ、依存していいのだろうか。

 誰かが決めた美的感覚。

 誰かが決める。自分以外の誰かが。

 投票をしないひとは、政治に対して、責任を逃れられている。

 わたしの両手は汚れていないのだ、という安息感。

 もちろん、それで責任のすべてを回避できるわけでもない。

 消費税が10%になろうが、95%になろうが、責任はなくても払い続ける。

 それは、この国家の一員として生まれてしまった鎖なのだ。

 国家に所属するって、多分、そういうこと。

 傘には、用を足さなくなった穴が開いていようが・・・。

 しかし、これらは、すべて前フリで借りたCDのレビューをしたいだけ。

 ライブ盤を聴いている。

 生の音楽をそのまま缶詰に閉じ込める。

 それにしても、スタジオ録音という個室の、ライブという発火や着火のなさでさえ、カウント・ベイシー楽団の放つエネルギーに誰も敵わない。

 ドライブ感という意味で。

 その彼らの1曲が、すべらない話のテーマに用いられたため、その曲を聴くと、宮川大輔さんが愉快な話をしてくれそうな予感がする。

 誰かの視線を意識しないこと。

 ローランド・カークというひとがいる。

 盲目の音楽家。

 それゆえに、ひとの視線を意識しないで生きていける。

 何本ものリードを口に咥え、鼻の息でも音楽を奏でる。

 まるで、カウント・ベイシーのもつアンサンブルをひとりでするような迫力。

 時間が経つ。

 ミンガスというひともエリントンの音楽を小さなグループに移植して演奏する。

 だから、ベースの音も大きくなる。

 ビッグ・バンドが発する低音部分はすべてオレに任せろ! という意気込みがある。

 「辛島文雄クインテット」というグループの新宿のピットインでのライブを聴いている。

 ライブ盤として堪能できるが、はじめに書いたものにつながる。

 サックスというのは枠からはみ出るための楽器ではないのか?

 彼らは、コルトレーン・ロリンズ国家から一歩も出ないことをこころに誓っているようだ。

 生存することの悲しみ。

 それ以外は、その場にいなくても、その臨場感が伝わってくる内容だった。

 4番打者が送りバントをするような悲しみ。

 もったいないな。

 しかしだね、人間は、それよりジャズなんていうものを聴き続けている意味は、頼まれもしないのにやみくもに聴いている意義は、それは、個性の発露を知りたいのだ。

 これこそが、60億人という数にも埋没しないひとりの個性なのだという宣言を。

 で、モンクやホレス・シルバーの誰とも違う音楽を楽しむ。

 もうちょい、ネクタイを緩め、それを振り回すという酔っ払いにも似た最低限の度胸が、それらサックス奏者にあれば、違う一面が見られたのにな。

 でも、全体的には満足がいった。2000年も10年が過ぎ、いまごろジャズなんていう音楽を生涯の生き様にしようなんていうひとびとがまだまだ居ることには少なからず、感動もするわけだ。

 たくさんの練習も積んでいることなのだろう。

 数年後、この音楽を、ふとした瞬間に、また聴き込みたくなるのだろうか?

 最終的には、そのときに結論を。

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